通勤雑感

例えば「社会保障にまつわる企業負担を増やす」と聞いたとき、それを自分の問題だと捉えることのできる人がどれだけいるだろうか?
ご存じの通り、従業員の雇用や賃金はもはや聖域ではない。総額人件費抑制の名のもと、各企業がフツーの社員のミナサマの手取り賃金カットへと走ることは想像に難くない。大企業の体力が弱まるなら、中小企業はその余波を二倍三倍の高さでかぶる。景気には水を差し、税収にだってよくない影響があるだろう。
曰く、内部留保が多すぎる?取り崩せ?
企業は絶えずブレイクスルーしていかなきゃ生き残れないのだ。すぐに利益を生まない基礎的な研究開発にだって膨大な費用がかかるし、儲けに繋がる行動(繋がらなくても、だけど)を起こした従業員にはきちんと報いる準備をしておかないと。(青色発光ダイオードの例を持ち出すまでもなく。)
今時、プラマイゼロベースで事業続けていくことなんてできっこないんだから。勝って大きくなるか、負けてやせ細るか、どっちか。消滅しないために頑張って力を蓄えることをそんなに罪悪視するんだったら、漠然とした不安にかられてひたすら塩漬けにしてる家計部門の巨大な内部留保「現金預貯金」はどうなの?と逆に問いたい。
経済は、つながっている。何らかの負担を誰か他人に押し付けたからといって、それが自分に全く関係しないということは有り得ない。逆に、財布から500円玉を放り投げたところで、それを拾った誰かの購買行動が何かしら良い影響を自分に及ぼさないとも限らない。自分ひとり負担増を避けまくっていれば幸せになれる(または不幸から逃れられる)という考え方には全くもって共感しかねる。