「遺跡」に帰ってきた。
私の両親などは、ちょっと親戚が集まったりすると「ボウリング行こう」って言いたがる。
ヨメのとこにも、ボウリング好きな叔父さんがいたりとか。
それには、やはり昭和40年代〜50年代前半に列島を席巻した
“ボウリングブーム”が大きく影響していると思われる。
ちょうど私達が生まれた頃=親の世代の青春ど真ん中。1972(昭47)年には全国に約3,900のボウリング場があったらしい。
...と聞いても、それが多いのか少ないのかピンと来ないが。
ブームはその後ウソのように沈静化したものの、「ハコ」であるボウリング場のほうは淘汰の果てに生き残るか、敗れて更地となるか、さもなくば衣替えして活用を図るしかない。
私の育った街では、元はボウリング場だった“ホームセンター”が2つもあった。自動ドアの玄関があって、フロントがあって、軽食コーナーがあって、レーンに降りていくためのものだった階段があって、天井がちょっと低めで、しかも奥に向かってさらにちょっとずつ低くなってる感じの。
で、そこら中に日用品や家具や工具や建材がでかい棚を使って陳列されていると。
日曜大工(DIY)ブーム...というのも微妙に発生したようだが。それをも反映しているのかしらん。
で、就職して引っ越してきたこの街にも、そんなホームセンターが1軒あった。
道路が変更されたせいでちょっと不便なところに建っていたし、古かったので「長くはないな」と思って見ていたのだが。
しかし最近、そこが再度の商売換えによって見事復活を果たした。
小売業者にとって禁断とも言える最後の、まさに、奥の手。
そう。
「100円ショップ」として。
かつてピンの倒れる轟音と若者の歓声とが響き渡り、先月までは閑古鳥が鳴きまくった売り場としては少々いびつな空間が、いま膨大な量の雑貨に埋め尽くされ「ヤスイヤスイホカノミセイラン」と異口同音に唱えるデフレの民であふれる。
その中の一人が、私。
「ただいまぁ」とでも呟いておくべきなのか。
そんな気持ちになった。