失格だな、私
うちに帰ってきたら、元ちとせのアルバムがあったのでひと通り聴いた。
奄美大島瀬戸内町のホームページ。いまやメディアの寵児だというのに、
ローカル色全開の取り上げ方が笑わせます。
いやしかし、節まわすまわす。職人芸ですな。
ラテン/レゲエっぽい、かつ控えめなアレンジでもってひじょーにナチュラルな
唄い手の魅力を引き出すことに成功していると思う。ただ、エンタテイメントとしての
完成度とか価値とかいう面を見たらどーだろ。それともそんな見方をするのは野暮?
この週末は歌いに行くことになっているので、やっぱりそっちの方に頭が向く。
私は合唱するヒト(Ten)ですが、考えてみると、声楽とか発声法とかいうヤツを
体系的にも断片的にも、きちんと勉強したことが、ナイ。
失格だな、私。
大学2年目「一生けんめい歌わないと自分の声の良さが出ないんだ」という趣旨の発言をしたら
先輩(Sop)から「あんた、そりゃがなってるってゆーんだ」と非常に痛い指摘を受けたことがあったが、
声の出し方も体の構え方も、その時とあまり変わってない。
ますますだめじゃん。
結局自分のこのうすっぺらい、硬い声が気に入っているのだ。
プラシド・ドミンゴと喉をとっかえてやると言われても、ご免こうむる。
...ただ、合唱するヒトとして、いーかげん脱皮しないわけにはいかないでしょ、
なんて思っていない、わけでもない<どないやねん。
努力する方向のひとつは、自分の声を練ること。その過程では
今までわざと避けて通っていたかも知れない、理論的な部分にも
向き合っていかなければならないでしょ、やっぱ。
そして、自ら学びつつ、ケーススタディとしての手段を兼ねた
ヴォイストレーニングの技術を身に付けること。
そして最終的には、自分にしかできない表現の方法を見つけること。
合唱という軌道からは、少しずつそれて行くことになるのかも知れないけれども。