2006-01-01から1年間の記事一覧
名古屋から福岡へ移動中。 予約してた便から早い便へ変更したら、3人席の真ん中になってしまった。想像以上に、窮屈。 レールスターのゆったり座席が恋しい。
いまドォーモを見てるのだが、なんやこのバリ風スーパー銭湯て。すごすぎ。 現地より直接インテリアを取り寄せたバリ風リゾート温泉をはじめ、100%源泉の掛け流し浴、マッサージコーナー、エステルーム、中国より取り寄せたトルマリン成分を含んだ天然宝石…
2月に出来た新しいホテル。2度目。なかなか居心地がよろしいので福岡の常宿にしよう。
怒濤の、四月がはじまる。春の嵐と言ってもよい。 明日明後日で名古屋、福岡をこなし、今週末は大阪。来週にも大阪4ーdaysが待ち受ける。東京にもいくつかのタスクが当たり前のように積まれている。 僕がいるから、為されることがある。闘うのみである。
この国は、人々の叡知と努力とによってできている。 できれば自分も、その一部分でありたい。
東京に着いた。泥のように疲れた。帰る。 札幌土産はとーぜん「白い恋人(ブラック)」。熊カレーは売ってなかった。
他に何にもないところにぽつんと、ものすごく広い駐車場を備えた、つぼ八。 違和感。
北広島インターだ。すげえ北の広島。
>高速に乗るとアンテナ立つのね前言撤回。まばら。北海道に転勤したならPHSは解約だな。 窓越しに冷気が伝わって来る。まだまだ寒い。
高速に乗るとアンテナ立つのね。
それはいったいどこなのかと。 千歳空港から札幌市内に向かう高速バス車中から。ウィルコム電波弱ぇ。 生涯二度目の北海道上陸。積雪もそれなり、窓外に広がる景色はそこはかとなく北の大地。フィンランドで同じように空港からバスに乗ったのを思い出した。 …
最近はずっとmp3を鳴らしながら通勤している。シリコン・オーディオの容量に不安があってレートを低めにしているのでノイズが耳につく。朝はそれほどでもないが残業で疲れた退勤の時は特にひどい。改札からホームへ向かう階段でクラっときた。 五感に直接晒…
ところが、何故だか知らないが、最近のUSBメモリはほとんどが本体側にホルダー穴がついている。すると、USBメモリを使いたいときは、フタをとったら、それをなくさないようにしっかりと握り締めつつ、USBメモリ本体の方は、自宅の鍵ごと、あるいは、会社のI…
前の会社を辞めた時、へその辺りを真一文字に切り割いたような気持ちになった。 今は、腹に短刀を突き立てたまま生きている。
今日は名古屋日帰りでした。大阪札幌福岡からの続き。で、ようやくこの仕事ひと段落。来月は大学生の採用マターで札幌と福岡の出張入れられてしまった。マイルためよ。ちまちま。 この出張のおともは、いつものThe Real Group、Vox Oneに最近仕入れたオース…
帰ってきた。札幌−東京−福岡のでかい三角形軌跡完成。仕事上の成果もそれなりにあがり、まずまず満足。
野球選手を使った駅貼りのポスター。札幌はダルビッシュ有。福岡は、和田毅。 札幌の勝ち。
タイトルと全く関係ないがさっきタクシーで通りかかったJR吉塚駅が新しくなっててびびった。外観デザインは、いただけないが。
引き続き、福岡市内です。
ここキャナルにはラーメンスタジアム2があるわけで、もしここで夕食にラーメンを食せば1日に南北のラーメンフードテーマパーク踏破!ということになる次第で、そーいうネタは普段非常に好むところなのだが、さすがに胸やけしそうなので、パス。おやすみなさ…
キャナルシティ前のダイエー、つぶれとるやん。
かつて乗り慣れた地下鉄だけれど、さすがに七年だか八年だか経つと居心地の悪さも感じたりして。もうすぐはかたなんで京ぽん2ははかたが変換できんかこんばかちんが。くらすっぞこら。
ここなら、極端な当たり外れはあるまい。 旭川ラーメンをチョイス。味噌、魚出汁でこくまろ。うましー。
でかーいー
人間は三次元の世界に生きているので、もともとは上に行こうが下に行こうが、あるいは東西南北どちらに進んでも咎められはしない訳である。ここで組織(例えば営利企業とか)を考えると、何らかのサービスを提供して利益をあげるというのはこの世界の「どこ」…
ひとえきしかのらないじかんがないああついた
路線名がよくわからん。とにかく札幌へ向かっている。 これまで国内で行ったことのある土地の北限は群馬と栃木だった。やって来たでよ、北野大地。昨日までの大雪で電車も順調に遅れているようだが、線路の周りの雪化粧を見ると、むしろ電車も飛行機も動いて…
氷点下五度て。
いまから千歳へ飛びます。都営三田線→都営浅草線→京急線→京急羽田のルートに慣れるとモノレール使ってた頃に比べて空港が近く感じる。
社会は、妥協でできている。妥協を知らぬ者は人生における「成功」と言う名の果実を一切もぎ取れないと言うつもりはないが、その数や質、そして可能性について著しく低い水準を甘受せざるを得ないであろうことは、身を持って知るべきだ。