成果主義と「尊敬」

理想的な職場(会社)の条件のひとつとして「従業員どうし互いに尊敬しあっている」というのが挙げられる。部下は上司を尊敬しその経験に学び、上司は部下の美点を見出してそれを評価する。同僚は競い合いつつも常に高めあう。逆に崩壊寸前の会社では部下は上司を馬鹿にし、上司は部下のあらを探しとがめたてる。同僚は妬みあい足を引っ張り合う...とまではいかなくとも、尊敬どころか互いに関心が薄い、という職場は結構多いのではないかと思う。
ある組織の中で高い業績を挙げた人がいる時、それがその人の実力によるものかたまたまなのかによってその業績・人に集まる「尊敬」の度合いが変わってくる。「成果主義」だからといって、高い業績に対して見境なく高い処遇を与えていては組織の中に「尊敬」の念は育たない。むしろ「尊敬」が集まってくるのを待ってそれから処遇しても遅くない。そうすることによって全ての人に「尊敬」を集めようという動機が生まれ、それが組織に永続的な好業績をもたらすサイクルを生むからである。
成果主義というと「成果=処遇」というシステムだと思われがちだが、成果主義が成功している会社ほど「成果=尊敬=処遇」の等式が成り立つ。全ての職場は成果主義でなく、実は「尊敬主義」を目指すべきなのだ、と、僕は思う。