流されてはいけない

私の妻の姉はいわゆる国際結婚をして、南米に住んでいる。以前は夫の故郷であるコロンビアにいたのだが、治安の極端な悪化で隣国エクアドルへの避難を余儀なくされた。彼は学歴が高く故郷では技術職として活躍していたのがそれに見合う職が得られず、また、彼の妻は看護師だが日本で取得した資格が通用するでもなく、随分苦労したとのこと。今は二人でパン屋さんを開業して生活を安定させつつある。インターネットを通じて時折り届く笑顔に私たち身内の者は安堵させられている。
移住の前後、妻の父親が娘可愛さか、あるいはかの地の治安や経済状況を憂いて「いっそ二人で日本に来れば心配なく暮らせるのに」と勧めたことがあった。しかし、愛する人のために海をも渡った自分の娘の身軽さを万人に求めるのは無理と言うもの。加えて、日本国内での外国人の就労が悲しいほど限られているという現実(彼は日本語も英語も使えない)。ここで彼の知性やプライドを満たすような仕事を見つけることはエクアドル以上に難しいだろう。日本では食うために老いるまで働き続けなければならないし、物価も高く一生お金の心配から逃れられない。彼にそうした苦労を背負わせたくない、と言っているとも聞いた。
感情が伴うと、よかれと思って言ったこと勧めたことが相手にとって良い選択とならない場合も多々ある。私たちとて彼らにそばに居てもらって安心したい気持ちには変わりないが、彼らの状況や思いを汲み取り、また実際にそうした場合どのようなことが起きるか、彼らにとって必ずしも幸福とは言えないことをよく慮って、冷静に考えるべきなのである。理想とする人生のあり方、自由になる時間やお金の量、生きるスピードの違い。それらを顧みることなく自分以外の人に適切でない行動を強いていないか、そして逆に、幸福でない選択を他人から強いられるようなことになっていないか。胸に手を置いて考えている。