育児休業と昇給・昇進

男女を問わず、育児休業の取得促進について従業員の口から漏れる幾つかの不安の中から上位に挙がるのが「昇進が遅れる」というもの。育児休業中の収入減も併せ、やはり家計に与える影響を心配する声が多いようである。これを踏まえ、識者や行政サイドから企業に対してこうしたことへの保障を求めて圧力を掛けようとする向きもある。
冒頭に書いた従業員の意識は、裏を返せば、理由の如何を問わず入社同期より給与の額が少なかったり昇給・昇進の時期が遅くなることをよしとしないマインドが日本企業に勤める人々に広く根付いてしまっている、ということでもある。査定事務を司る人事屋はこれをよく承知していて、特に非管理職層では特別な理由がなければ同期の昇進に差をつけない*1し、逆に同期と差を付けることを本人に対するメッセージとして利用することもある。先に昇進させればその従業員を高く評価し職場におけるリーダーとしての役割を強く期待していることの表れだし、遅らせれば低いパフォーマンスに対する叱咤ともなる。
実際のところ、差をつけないことよりも能力・成果によって差をつけることの方が「和を以って貴しと為す」ようなこの国の企業にとって結構難しかった。ドラスティックな抜擢や同期における給与額の極端な差を最近になって容認できるようになったのは、自己申告制や目標管理(MBO)といった欧米型人事ツールの普及や、特に若い層における「組織よりも個を尊重する」傾向の広まりによるところが大きい。いずれにしても、差をつける(あるいはつけない)理由を査定する側である管理職が説明可能であるのみならず、職場のメンバー誰もが納得できることが実施の要件となる。
ここで話は最初に戻るのだが、1年なり数年なりの育児休業を取得したにも関わらず昇進や昇給を遅らせない、あるいはその影響を限定的にするような特別な措置が、そのようにデリケートな日本企業の職場・従業員から果たして受け入れられるかどうか、ということである。キャリアの中断はその間の能力伸張に寄与しないことは明白であろうし、特に技術職・専門職では、常に職場に身を置くことが目まぐるしく変化する技術動向についていくための近道と考えられていること等を踏まえると、こうした特別な「配慮」の制度化は育児休業に対する「取ったもん勝ち」といった認識にすらつながり、公平感を前提に企業の発展と従業員の幸福との間で微妙なバランスを保って成立している人事関係諸制度の中で異質なものを据えてしまうことにならないか。「少子化対策は喫緊の課題だ」とか言って法制化等をもって企業にそうした取り組みを強制することもできようが、経営への負担となるだけでなく恩恵を与えたはずの働く人々からも素直に受け止めにくいものとなりかねないことを考えるべきだ。
時価主義」という人事の業界用語がある。年齢の長幼、キャリアの長短に関わらず従業員のある時点のバリューを職場のニーズや外部労働市場に照らしその都度評価しようという原則論である。育児休業によるブランクはこの時価主義に照らせば評価のマイナス要因ではあろうが、長期的な賃金増減を年功主義による右肩上がりのものとしてとらえず、時価主義によって上がりもするが下がることもある、ましてや同期といえども当然異なってくるものとする考え方が一般の従業員にも広がれば、一時的な昇給停滞への抵抗感も薄まるのではないか。むしろ、人生の大切な時期に家族と触れ合える時間を持てるという本来のメリットが育児休業取得の動機としてきちんと存在感を増してくるはずである。

*1:病気やケガ等で1年も2年も会社を休んでいる従業員について、仕事をしていないにもかかわらず査定の標準値で昇給させることもあるにはある。労使の同意事項である場合も多いが、「時価主義」を徹底するなら起こり得ないことである。