新聞を「選ぶ」

引っ越しを機に自宅で取っている新聞を替えた。その新聞のオピニオンとスタンスが合わなくなっているのを感じていたし、経済紙を自分でも購読して勉強したいと思ったからである。
これまで利用していた新聞販売店には契約中断の旨と「別の新聞にするから転居先の販売店に引き継ぐ必要はない」ことを伝え、新しい新聞はその新聞社のホームページから申し込んだ。結果、引っ越し翌日の朝刊からスムーズに宅配され、数日後には販売店から担当者が丁寧に契約とお礼の挨拶に来て、万事滞りなく、のはずが。
日曜の夜だったか、以前取っていた新聞の(と称する)拡張員がやって来て。

『そこの○○新聞の者ですけれども、いま動物園やら遊園地のチケット持って来てまして、あと最近奥様方に大変好評なんですけども、景品をカタログで選べるようになってましてね、それに洗剤と、、、』

インターホン越しではあるが、挨拶もそこそこに一方的にしゃべるしゃべる。それを遮って、

「ちょっと待って、それでご用件はなんですか?新聞取れってことでいいの?」
『まぁそれで結構なんですけども』
「新聞はもう決めてあるんですよ」
『でしたら、その次でお願いできませんか?3ヶ月でもいいですんで、、、』

なんと言うか、ただもう鬱陶しく感じたので「ここに長く住む予定はないから」と言ってお引き取り願った。
新聞の販売店拡張員は別組織で、特に後者についていろいろと問題があるのはよく知られていることである。自分のケースでも販売サイドと契約者とのコミュニケーションは問題なく完結しているのに、それとは別枠である拡張員の無駄な動きが消費者に不快な思いをもたらしている。各新聞社がフリーダイヤルやネットによる購読申し込み等の窓口を充実させいわば販売の「中抜き」が可能な状況が出来上がっているのにもかかわらず、「新聞拡張員」という業務がなくならないのは、新聞を内容で選ばないで景品やらなんやらで決める消費者の側に問題があるからなのだろうか。

その新聞が大部数を維持し続け、廃刊に追い込まれないのはなぜでしょう。それは新聞業界に自由競争がないからです。日本の新聞は世界でもまれな専売店による宅配制度の下で大半が売られていますが、そこに問題があるのです。

売店制度は、以前日米自動車交渉の時にも問題となったいわゆる系列販売の典型で、排他的な流通制度です。

また、宅配制度の下での無期限購読は、店頭で商品を選ぶのと違い、消費者が商品を比較検討、選択する機会がありません。この世に新聞自身の商品内容、他紙との違いを訴える広告というものは全くありません(産経新聞は『新聞はみな同じではありません』と訴えていますが、裏を返せば消費者は新聞はみな似たようなものという認識を持っていて、新聞を内容で選択していないということを新聞社自身が知っていると言うことです)。新聞のセールスマン(拡張員)は来ますが、しつこさと、強引さを競うだけで、商品の説明は全くなく、消費者には大変迷惑な存在です。月に一度の休刊日は各社一斉で、たまに他の新聞を読むこともままなりません。一般に店頭販売をせず、訪問販売のみと言う商品は多かれ少なかれ消費者には不利益となります。比較検討したり選択する余地がないか、あっても非常に限られているからです。そして、一度定期的な購入を始めると、購入見直しのキッカケがありません。何せ、その商品しか知らないのですから。

とはいえ、いまは地方紙も含め多くの新聞の記事や社説をネットで読めるし、比較検討の余地は十分に生まれてきている。デジタル・ディバイドの問題を除外するなら、あとは契約する側のやる気次第なのではないかと思う。