音楽に魅入られた人々

合唱指揮の第一人者、関屋晋氏が亡くなった。(Google News
氏の指揮で歌うことはなかった私にとってさえ「巨星墜つ」の感を禁じえない。心よりご冥福をお祈りしたい。

早稲田大政治経済学部卒業。学生時代から独学で合唱指揮を始め、内外の合唱コンクールで優勝。昭和55年に「晋友会合唱団」を組織して、ベルリン・フィルウィーン・フィル、ボストン響、ロンドン響など世界の一流オーケストラと共演した。平成6年に藍綬褒章、14年に勲五等双光旭日章受章。日本合唱指揮者協会副会長。著書に「コーラスは楽しい」。9日、京都で公演リハーサル中に呼吸不全を起こした。

京都でのリハーサル中に倒れられ、そのまま他界されたとのこと。翌日に浅井敬壹氏とのジョイント本番を控えた中での出来事で、関係者はもとよりご本人にも無念の思いがあったことと想像する。
この訃報に接し、同じく人生の最期を音楽に捧げ尽くした石丸寛氏のことを思い出した。石丸氏は94年に癌の宣告を受けながら、翌95年「人生最後の仕事」として、自ら創設に関わった九州交響楽団音楽監督として復帰、闘病の傍ら数々の公演を指揮し、98年に亡くなった。
私は氏の音楽監督就任記念コンサートとなった96年の九響・第189回定期演奏会「カルミナ・ブラーナ」に合唱団の一員として参加している。練習での氏は時おりユーモアを交えつつも気迫溢れる指導で、私はすっかり惹きこまれた。しかしある日のリハーサルの最中、突然タクトを下ろして頭を抱えられ楽屋へと戻られたことがあった。十数分の後戻られて練習は再開されたのだが、やはり病魔の影は拭い難いという印象を強く持った。
本番の指揮はまさに鬼気迫るもので、終幕「おお、運命の女神よ」を振り終えて満場のブラボーを浴びながら、オケと合唱団とに向けた、優しく細い光を伴ったねぎらいの視線が忘れられない。