民主主義を歪める存在

東西イデオロギー対立の時代には、保守政党による磐石の政治体制を長期に渡り維持することが国体の安定、国民の生活向上に繋がると考えられた。ハト派からタカ派まで大きくウイングを広げた自由民主党はまさにこの目的を達成せんがための政治的基盤であった。政党は本質的にソフトウェアであるはずなのに、自民党はその成り立ちにより一身にソフトとインフラを兼ねざるを得なかったことがこの国をおかしくしてしたと言っていい。例えるなら、政党政治という森を育てるべき民主主義という土壌の上に自民党政治という名のアスファルトを敷いてしまったようなものだ。平らになった土地に権力やら財力を備えた人達が嬉々として極彩色の街を建設していったが、その傍らに雑草の一本すら自生することはなかったのである。
自民党長期政権のもと、実のところ社会党民社党公明党共産党といった野党に投票する人でさえ自民党が政権を降りる事態まで望んだわけではなかった。しかし今回の総選挙結果を見ると比例区で自民・民主の得票は逆転しており、「二大政党制」「政権交代実現」を期待ないし許容する「民意」はある程度明確となった。にもかかわらず与党が絶対安定多数議席数を占めるという選挙結果がアウトプットされた、その原因は...
公明党の存在。
投票率が下がれば下がるほど,この党は強固な組織力で存在感を増し影響度合いを高める。それは断裂を起こしたアスファルトから木々が枝を伸ばそうとするところへ、自分好みに着色したセメントをぶっかける光景に見えてならない。