「言葉」に操られるな

三波春夫がCMで高らかに言い放った「お客様は神様です」というフレーズは、日本人のメンタリティである「謙虚」「謙譲」「とりあえず下手に出とけ」と親和性が非常に高かったが故にかつてこの国の隅々まで強力に浸透したが、定着し過ぎたがためにああ、物を買う方にまわれば何やってもいーんだという思い込みを生んでしまったきらいがある。需要曲線と供給曲線を思い浮かべるまでもないが、売り手が一方的に譲歩するのではなく、売り手と買い手が互いの利益をギリギリまで追求した上で折り合うのが社会的に最も望ましいのである。「お客様は神様です」という言葉はその言葉自体にマインドコントロールの機能が生じて、モノとカネとがやりとりされる際の健全なコミュニケーションを阻害しているとさえ思える。
言葉を操るのではなく、新しく造られ刷り込まれた言葉に「操られて」いる例として「逆ギレ」が挙げられる。これはもともとダウンタウン松本人志がフリートーク中ちょっとキレ気味にツッこまれたのを受けて「おいおい、逆ギレやでぇ...」と言ったのが発祥。何か非があって責められても仕方がない人が逆上しても一顧だにされないのが正常な姿なのに、それを的確に形容する「逆ギレ」というフレーズが出来てしまったがために何か突っ込まれた人の行動として「逆ギレ」という「選択肢」が生まれてしまった。時には暴力さえ伴って「逆ギレ」する人が近年なんと増えたことか。(全部が言葉のせいとは言わないけれども。)
言葉は操るものであって、言葉に操られてはいけない。耳障りのいいフレーズには、使いこなしていると思っている本人らの行動を逆に「規定」しかねない魔力が備わっている。