制度と運用と立法趣旨

「負けたら解散」のビーンボール
http://www.asahi.com/column/hayano/ja/TKY200308120125.html
朝日新聞コラム「ポリティカにっぽん」早野透
日本は議院内閣制を敷き、立法機関である国会は小選挙区比例代表選挙制度を持つ。これら制度は政党政治、それも「穏健な多党制」が政治の姿としてこの国に具現化することを意図して設計されている。
議院内閣制の大原則として最大与党(ないし連立与党)の党首が政府の首班に指名されることが挙げられる。これはそうしないと「違法」であるわけではないが、少なくとも与党内で少数の支持しか得られない人が首相に指名されたり、その地位に留まったりすることが各種制度の立法趣旨に沿わないということである...とここまでは教科書通り(の、はず)
法律や制度だけで人間社会の動きを全部枠にはめることは不可能であるから、その立法趣旨が遵守されるかどうかは「どう運用されるか」にかかっている。別の言い方をすると、「法の網の目」は立法趣旨という薄膜で覆われており、網の中の魚群はその膜を破らない程度に動き回るよう漁師から期待されているということだ。唐突な例だが「空白の一日」事件*1なんかはまさにこの立法趣旨がないがしろにされた典型だろう。憲法9条自衛隊の関係も仲間に加えていいかもしれない。
自民党総裁選に敗れても首相を続ける、と解釈されかねない発言を小泉さんがしたことを受けて上記コラムが朝日新聞に掲載された。くだけた文体ではあるが「暴投どころかビーンボール」「政党政治の筋からすれば...辞任するべき」「そりゃ脅しだよ……」と、前段では教科書の事項を踏まえた姿勢を見せながら、「だが、どうかな。」以降でそれらを全てうっちゃって「政党政治の筋」をちゃぶ台返しするような事態を煽る締めくくりとなっている。
当然、コラムを書いた早野氏の頭の中にも「政党政治の筋」を巡るシリアスな葛藤が存在したと想像されるが、その辺を全部韜晦して「やっちゃえやっちゃえ、小泉」というムードを醸成しようというのがこの文章の意図である。これを読んだうえで、もし小泉さんが総裁選に敗れてもなお首相の地位に留まる場合を仮定してそれを支持するか、支持しないかを自問してみたとき、自分自身の「法モラル」に対する意識が表れてくるように思う。さてあなたは「禁止されてなければやっちゃう」人か、「ルールに書いてなくてもやってはいけないことはやらない」人か?
あるいは、例えグレーの域に属していてもそれが「やるべきこと」であれば強行しても許されるのか?

*1:http://pospelove.com/h53.htm参照のこと。オレまだ小学校にも上がってないな...