常に考え続ける


選択肢の多い人生を歩もう、って

なんか前にも書いたと思うんですが。





今日はいくつか買わないといけないものがあって、

昼間に九州随一の商業集積である福岡;天神を

ぐるぐる歩き回ったんですけど。



ひとつは文具の類でして、最初に行った文具屋さんは

そのモノは取り扱っていたが希望とは少しズレがあり、

2つ目に行った商業ビル内の文具店でおおよそ

それに近いものを見つけ、それを留保して向かった

本屋の文具コーナーにはその商品自体の取り扱いがなく、

結局、2つ目の文具店に戻って用を済ませたのでした。





もうひとつは衣服(奥さんがコートを探す)でして、

これは「こーゆー種類」という希望が明確ではなく

そこが上記の文具と違う所なんですが。



最初に通りかかった店で気になった商品(ダウン、色は白)があって、

試着もさせてもらったものの、なにぶんひとつめの店だったので

「他も見てきまーっす」ってことでその場を離れたのですが。



次に足を止めた店でも似たような商品があって、

「デザインはさっきのがよいけど素材や値段ではこっち?」

とか言いつつ、となりの店を覗くとやっぱり類似のコートがあって。



で、しばらく歩いてみたんですが。



天神を知っている人には、コアとビブレを両方とも

一通り見て回った、と注釈しておこう。

どの店にも必ず目立つ位置に白のコートが置いてあることが判明。

見廻すと似たようなコートを羽織った人が結構目に付いて。


ようするにこの冬イチオシのアイテムってことですか。

そのうち記憶もごちゃごちゃになってきまして。



結局、始めに偶然行った店に戻り、2番目に試着させてもらった

コートを購入したのでした。





つまりこういうことなんですよ。選択肢の多い人生って。





集団の行動から、最も多く求められるモノのストリームを生むことができ、

多様な商品の中から、最も合理的に自分のニーズを満たすモノを

選び取ることが、誰はばかることなく可能である。

そういう状態。





生活とは、自分の手元にある資源(リソース、お金とか時間とか体力とか)を

どのように配分していくかを常に考え続ける、という営みを指す。

そこにちょっとでも制限が加えられているとすれば、その人生は

やっぱり相対的には不幸だと言わざるをえない、と思う。